※この記事は、過去に執筆した内容を加筆・修正したものです。記載されている内容は当時の状況をもとに整理しています。
ゲーム流通とゲーム小売について
ゲームショップが登場し始めたのは、1990年前後、約30数年前のことである。
それ以前、家庭用ゲームソフトは主におもちゃ店、デパート、あるいはディスカウントストアで販売されていた。
ゲーム流通の初期状況
当時、ファミコンソフトは「おもちゃ」と同様の扱いで仕入れられており、販売店が希望する数量を確保できる状況ではなかった。
人気ソフトは十分な数が入荷せず、再販も遅れる傾向にあった。生産制限や市場コントロールが背景にあったとされる。
「ゲーム買取」ビジネスの成立
このような環境下で、一部業者が「ゲーム買取」を開始した。
- ユーザーは、遊び終えたソフトを売却して現金化できる。
- 店舗は、中古ソフトを安価に仕入れ、安価で販売できる。
この仕組みは需要に合致し、急速に普及した。これがゲームショップの成立につながる。
ドラゴンクエストIII(1988年発売)の時点ではまだ一般的ではなかったが、バブル景気の後押しもあり、1990年代初頭には全国的にゲームショップが急増した。
ファミコンブームと小売文化の形成
RPGブームに伴い、クリア後に使用しなくなるソフトが増加し、それを売却して新作購入資金に充てる循環が生まれた。
この循環は、ファミコンブームを背景とする新たな小売文化を形成したと評価できる。
スーパーファミコンと流通改革
その後、PCエンジン、マスターシステム、メガドライブといった新機種が登場し、家庭用ゲーム市場は拡大を続けた。
1990年に発売されたスーパーファミコンは、ファミコンの後継機として瞬く間に市場の中心となった。
しかし、流通においては以下の課題が残存していた。
- 再販の遅延
- ROMカートリッジ価格の高騰
- 「初心会」と呼ばれる問屋連合による流通管理
こうした環境のもとで導入されたのが「ニンテンドーエンターテイメントショップ」である。
これは任天堂による正式な小売フランチャイズであり、『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』(1991年)の時期に始まったとされる。
流通インセンティブの変化
スーパーファミコンの人気タイトルは供給不足が常態化しており、店舗にとっては最重要商材であった。
中古取引は存在したものの、新品ソフトの供給は需要に追いついていなかった。
この状況下で、従来であれば15本前後しか確保できなかった人気タイトルが、フランチャイズ契約を通じて500本以上割り当てられるケースも存在したと記録されている(映像資料より)。
これは当時の小売店にとって、極めて大きなインセンティブとなった。
まとめ
1990年前後、従来のおもちゃ流通に依存していたゲーム市場において、「中古買取」という仕組みの登場と、任天堂によるフランチャイズ展開が、小売と流通の在り方を大きく変化させた。
これらの動きは、その後の家庭用ゲーム産業の発展における重要な転換点となった。